ジャーナリング

さまよったら「なぜなに」フィルターで戻す

*2019.4.29公開→2021.5.8更新

こんにちは、eyecoです。

気づかなかった破裂サイン

周期的なものなのか、なんなのか。
ゆらぎ年齢だからなのか、なんなのか。

ここ数日、ちょっとお疲れ気味を自覚したわたし。

夜中に突然、腹痛、めまい、からの、動悸息切れ、やばい、ナニコレ。
突発的な不安感にみるみる飲み込まれていくような感覚で、
自分が結構パンパンな状態だったんだな、と気づいた。

ちょこまか心配事をリリースしていても、たまるものね。。。
いや、してるつもりで、リリースされてないのか、なんなのか。

結局、誤魔化しきれないものは、必ず、表に出てくるもので。
毒素と同じ。じわじわと侵食されていたんだな。

そこで昨日は1日、用事ついでに外時間を長めにとって。
パソコンは開かずに過ごしてみる。

ノートと手帳はしっかり携帯。
「ねば」からの脱却。

しっかり、気づけば2〜3時間、書き散らしていたノート。
まさにさまよいの中で、再び、というかんじ。

ノートにひそむ過去の自分の声を聞く

これ(↓)は、2年前の4月にPOSTしたもの。
今日改めて、はたきをかけてみようか。

きれいとか、汚いとか、ちょっと休憩、わきにおいて。
まず、書いてみる。思うままに、気ままにペンを踊らせる。
そのために、わたしはよく、ノートを使う。
特に、不安にかられたときは、すぐ汚す。
そして、すごく汚す、ノートを。
もう、めいっぱい。

不安ダダ漏れなノート。でもなんとか前を向こうとしている、の図(再現)

これは、先日のノート講座で登壇するときに、
参加者のみなさんに、わたしの体験、
ノートとの本気のおつきあいが始まったきっかけをどう話そうか、
ぐるぐると考えていたものです。

わたしの2大不安(当時)は、結婚生活の破綻と、
それによって突如さらされた経済不安でした。

まず、自分がどうしたいかとか、どうなるのかとか、
驚くぐらいに自分のことがわからない。

そのことにまた、オロオロと、困惑するばかりで、
なにをどうするも、まず自分自身が本当に、
どうしようもなかったです。

奥の奥の声を正確に聞くのはめんどう

心の、奥の奥にある、ちいさな自分の声を聞くのは、大変です。
まずいろんなフィルターや雑音に阻まれて、なかなか取り出せない。
誰に聞かせるわけでもない、自分対自分で対峙しているだけなのに、
なかなか、これが、骨が折れる。

「大丈夫だこんなのなんでもない」
「いつものことだしやりすごしてしまえばいい」
なんて平気なフリをしたり。

「もっと気楽にいこうよ、楽しくしたら」なんて、
いきがったてみたり。本当に自分で分厚いバリアをはって、
自分がそれを破れなくなっている。

なかなか、奥の奥の声までたどり着けない。
本当に自分って、めんどう。

そんなときに、「なぜ」と「なに」。
この2つをつけて、再度、問うてみる。

大丈夫だこんなのなんでもない

→「なぜ大丈夫と思うの?」

→「なにがこんなのなの?」

 

いつものことだしやりすごしてしまえばいい

→「なぜいつものことなの?」

→「なにをやりすごしてしまえばいいの?」

 

もっと気楽にいこうよ楽しくさ

→「なぜもっと気楽になの?」

→「なにが楽しいの?」

こう書いていくと、なんだかさらにめんどうだなぁと思うけれど。
一つひとつ、自分が心の中で発する言葉を拾って、じっくりお相手してみる。
自分との対話に、時間を使う時間を作る。
そういうふうにやっていったら、少しずつ、自分の本音に近づけていけました。

まとめ:書いて、書いて、癒されて

心がスッキリ晴れているときは、別のことに時間を使って、
霧がかっているときは、こんなふうにノートを書く。
少しずつ、繰り返しながら、ゆっくり回復する。

こんな状態のときは、目標とか、将来のビジョンは後回し。
(まず、頭が回りません。。。)
書いて、書いて、癒されていく。
そんな感覚で、ノートに向き合った日々です。

。。。と、まあ、これが2年前だったけど、昨日も新陳代謝をはかるべく、書いて出して、整えて、に、時間をたっぷりとって、落とし所を見つけてスッキリ!