数秘【11】揺れる月、まさかの松葉杖デビュー

2025年2月28日、数秘【11】揺れる月の最終日。事件は起きた。
夕方、仕事帰りに最寄駅へ向かう路線の上りエスカレーター中腹で、前に立っていたほろ酔い気味のオジサンがフラッと後ろに倒れかけ、ドキッとした瞬間、あろうことかそのままそっくりかえってきて下敷きに。そのままずるずるっと2段くらい雪崩れ落ちみたいになった、呆然。
オジサン起きれず、私も起きれず、まわりの人たちが助け起こしてくれて無事にエスカレーターは降りられたものの、私は右足を痛めてしまい、最寄駅に着く頃には歩くのも厳しいくらいの痛み。母に駅まで迎えにきてもらって整形外科へ直行、診察を待つ間もみるみる動けないような状態になり、人生初の松葉杖。今更ながらだけど、倒れてきたオジサンの連絡先と名前を聞いておくんだった、と思うもすでに遅し。ホーム上で「念のためお聞かせ願えますか」というべきだったか、いや、やっぱり駅員を呼ぶべきだったか、とあとから思うも時すでに遅し。そうして私は、ぐるぐると考えてしまう、いつもの癖ループに入る。
朝、駅で降りる時に車の座席のシートにリュックの紐がひっかかり、なかなか降りれなかった。こんなことは初めて。今思えば、何かに引きとめられていたのでは。
朝、電車に乗ってまもなく、漠然とした不安感がもたげてきて水を飲んだり、自律神経整える系の音楽を聴きながら深呼吸。久しぶりに電車を降りたい衝動が突き上げた。今思えば、何かに引きとめられていたのでは。
帰りの乗り換え駅の改札では、いつも使う列に並んでいると、前方で改札機に引っかかった人がいて渋滞。待ちかけたけれどふと横が空いていたので、隣の改札から入り、乗り換え線へ向かった。今思えば、何かに引きとめられていたのでは。
そしてエスカレーターに乗る直前、ワゴン販売のお店が脇にあり、並んだ苺大福がすごくおいしそうで買っていこうかなとよぎった。今思えば、何かに引きとめられていたのでは。
自分の不注意で、とかではなく、完全なる不可抗力。巻き込み事故にあったときほど考えてしまう、こんなこと。加えて、普段から数秘読んだり、カードリーディングしたりしているのもあり、こうした不可抗力になんかしらの理由や意義みたいなことを深掘ろうとしてしまうのだけれども、そうじゃない。今、このモヤモヤを晴らすのはそこじゃない。
どうしようもないのだ。仮に「今思えば、何かに引きとめられていた」のだったとしても、何も起こらなければそれは永遠にわからないわけだし、わかったところで防げたかどうかは別問題。それとは別に、オジサンが倒れかけてきた時に避ければよかった、も、隣にも人がぎっしりいる状態だったから無理だし、乗るタイミングをズラしていたら巻き添えなかったかも、も、ズラしたところで今度は上からもっとたくさんの人が将棋倒しになって私のところまで倒れ込んでくる可能性だってあるわけで、如何ともしがたいのですよ。そう、如何ともしがたい。だから、不可抗力なんだってば。
こういう場合、「私が何をした」、とか、「あの時こうしていれば」、なんてことは、そもそも考えたところで答えは出ないし、神様が試練を与えている、なんてことはない。そうやって解釈することで前向きに受け止められるならそれでいいかもしれないけれど、そもそも不可抗力=試練と受け止めるなんてあまりにも辛すぎない?
どうしようもないのだ。私が、とか、あの時、とかではなく、どうしようもなかった。
だから、そこに意味や意義を求めない。それよりも、
・この程度で済んだこと(右足捻挫と擦り傷)
・まわりの人がすぐに助けてくれたこと
・大事故にならなかったこと
・当日のうちに病院に行って適切な処置を受けられたこと
・今は松葉杖の不自由な状況下でも助けてくれる家族がいてくれること
(無理して動かずとも良い環境)
こっちに目を向けなくっちゃ。感謝だよ。昨日はこっちの感情がなかなか追いつかなったけれど、そう、感謝だよね。最悪、災難だったわー厄落とし!じゃなくて、この程度で済んでよかったです、ありがとうのお礼参りだよ。
しかし、去年の1月のもらい事故(これは車)もショックだったけれど、今年もあるとは、、、、今年は年始から大吉引いたし、つきものが落ちたような気持ちで過ごせていたのに、ここにきてこれかい、となんだか悔しい気分は否めない。なんだこの悔しい感情はなんだろうな、謎だけど。
大波乱、嵐の【22】の年だから油断するなよ、ということは改めて刻む。
あ、最後に数秘で理由つけちゃった、ふふふ。
とりあえず、今日は何も考えず、ゆっくり休もう。
足の痛みで昨晩はほとんど寝られなかったから。