ととのえミドル

家の話をしよう。わたしの家の話を。

家の話、といえば、ジュジュと世阿弥マシーン。
浮かんでしまうクドカンワールドなのですが、それをグッとこらえて今日は、
わたしの家。わたしの家の話がしたい。

こんにちは、eyecoです。

きょう家の管理会社から電話が来ました。
ファミリータイプのマンションに、ひとり住み続けてもうすぐ4年が経とうとしています。

更新年に当たるので、「どこか不具合はないですか?」という確認の連絡。
わたしがひとり暮らしには大きすぎるシューズボックスを一度引き取っていただけないかということ、そして、経年劣化してきた備品について相談をしたことに対するお返事の電話でした。

結論からいうと、シューズボックスは ”備え付け” だから引き取りはできず、備品は交換してくれることになりました。ありがたいです。

夫婦ギクシャクは突然に。問題は「家」

ここに入居する前はもう、ココロココニアラズ状態が続いていて、とにかく不安で不安で仕方がない毎日でした。「不安に押しつぶされるというのはこういうことか」ひしひしと実感するくらい、いや、当時はもう実感するなんて冷静に自分自身や状況を観察する余裕なんてまるでなく、常にポップアップする疑問の数々と答えの出ない日々に暴れ出しそうになる気持ちを落ち着かせるのに必死というか。

夫婦ギクシャクは突然に。

順調だと思っていた結婚9年目の危機、ミドルエイジクライシスなのかどうか、よくわからないけれど、それまで手にとるようにわかっていた(ように思っていただけだったのか)夫のことがまるで宇宙人と接しているかのようにわからなくなり、あれよあれよと転がり落ちた離婚坂。夫婦のことは当事者にしかわからないと言われるけれど、その当事者だって真実はわからないんだからどうしようもない。自分で、落としどころを見つけて前に進むしかないんですよね、結局。

ただ、問題は、家でした。
こだわりの詰まった持ち家を手放すことは、わたしにとって想像以上に辛かった。

フリーランスと言いながら、結婚後は腰掛けといわれても仕方がない程度の働きぶりだったわたしは、「扶養」という傘の下でボンヤリ過ごしていたわけで、年収なんて雀のナミダ。「ハイ、ここ売るから出ていって」なんて言われてもひとりで家なんて、借りられるのだろうか。

不安や迷いを吹き飛ばしてくれた小さな不動産店

後ろ髪をひかれる思いで売却の手続きを取りながら、次々浮かぶ疑問や感情を押し除けながら、こうなった以上もう前に進まないといけないんだと、近所の不動産にいって物件探しの申し込みをした時に、思わず涙が止まらなくなったのは、対応してくれたスタッフの方々の優しさにふれたから。

「大丈夫、人生いろいろ、いろんな人をみてきましたけど、なんとかなりますし、なんとかします!」と言ってくれた営業さんも、「在宅のお仕事が多いなら、日当たりがいいお部屋がいいわねえ」とお茶を出してくれた事務員さんにも、すごく救われました。

そこからなんだかんだで、10軒くらい内見に付き合っていただきながら、いろいろなチェックポイントを教えてもらううちに、わたし自身もだんだん気持ちのふんぎりがついてきて、最後に見た家が全ての不安や迷いを吹き飛ばしてくれたんです。それが、今住んでいる、わたしの家。

古い家です。天井も低く、一昔前の造りの家。

でも、入った瞬間に、部屋いっぱいに差し込んできたやわらかい日差しがキラキラしてて、「ああ、わたし、ここでリカバリーできそう」と直感的に思いました。安心させてくれる、癒やしの家。あったかくて、居心地のいい空気が流れている。

すぐに「ここにします」と決め、入居まで間があったのでその間に内装なども整えてくれることになりましたが、入って驚きました。透かし花びらのような壁紙だったり、使いやすそうな備品に一新されていて、「eyecoさん、ようこそ!」と迎えていただいたような気持ちになりました。心細さが一気に吹っ飛んだ、本当に。

地の利よりも安心感と居心地の良さ

この3年間で、わたし自身もだいぶ元気になり、「もっと地の利がいいところへ移ろうかな」と引っ越しが脳裏をかすめることも何度かありました。

けれど、建物や共有スペースにも日々、目くばり、心くばりをしながら清掃したり、メンテナンスをする様子を見ると、古いながらも清潔感があって、こぎれいで、かつ、あたたかい雰囲気があるここを離れるのはさみしいな、と思うようになってきています。

今日の電話を受けて、改めて、その居心地の良さは、建物のオーナーであり管理している方々によって保たれているものなんだなと感じたりして。

「足るを知る」。地の利がなんだ。
わたしには十分すぎる環境じゃないか。そう思って、気持ちよくまたここから2年間、お世話になろう。