こんにちは、ノート研究ライターeyecoです。
テレビを、見なくなって久しい。
テレビない生活、4年目に突入。わたしのなかで、もう、テレビはすっかり「なくても困らないもの」になってしまった。
でも、これはテレビ自体の話。
ソフト面(番組)はPCやタブレット中心に、配信でしっかり見ています。
海外ドラマはもう毎日。。。。どんなに忙しくても1日1本は見ている。これはやめられない。おかげで英語耳はどうにかこうにか保たれています。インプットはスラングばかりだけど笑
耳が保たれている、というのと、ちゃんと理解しているというのは別物で。
聞こえる、わかる、けど、意味はわからないというものはごまんとあるし、実のところ「わかったつもりになっている」ということがいかに多いことか。たまに英語ネイティブの友人に確認すると、おそろしくはずかしくなってしまう。でも、そういう経験があると、「あー、ちゃんとやろ」とネジ巻きになるからいい。
あやまりや間違いを指摘されたら「う”う”~~~~~~~~涙」となったり凹んだりはずかしくなったりする、きっと誰でも、一瞬はそんな感情がわくんじゃないかなと思うんだけど、そこからマイナスにふるかプラスにふるかは、本当に人それぞれ、というか、考え方次第。
わたしは結構、発奮するほうなのですが、得意なのは短距離走だから持久力がない。だからこの、持久力をつける意味でも、ノートや手帳にいちいちあれこれ書くことをやめないでいる。
おかげで、忘れたころに、パラパラと手帳をめくって「はっ!!!」とすることの多いこと、多いこと。。。!
「そうだよ、このときに誓ったじゃん」
とか
「思い出せ! ここでやったの忘れたか!」
とかね。
話を戻して、テレビ。
テレビがあるときは、いつもなんとなくついていたから、情報を自分から取りにいかなくても入って来ることが多かった。特に、ニュースはそれで興味があるなし関係なく耳に入ってきたけれど、いまはそれがないから、いい面も悪い面(というか不便?)な部分もあるかなぁと思ったりもしていて。
しかし、そんな中で、新たなキボウとなったのが、ラジオです。(あれ?まえも書いたっけ。。。?)ちょうど自粛が始まったくらいから、ラジオフリークな友人の影響で聴き始めたらなんだか習慣化してきちゃって。
↓ あ、やっぱり書いてたね。↓
朝はニュースやってくれるし、ながら聴きできるし、なかなかいいなぁと。
なにより、やっぱり人に会えない分、いろんな人のおしゃべりが家の中に響くことに、心地よい安心感みたいなものを感じたりするんです。(←重症?笑)
家族にも、友人にも、会えてない。
少しずつ動き始めてはいるものの、基本、外食も1人でサッととかね、そんなかんじでまだまだね、だしね。
でも、ラジオとか聴くと、皆さんも同じようなかんじで過ごしている人もたくさんいるなということがわかったりして、心強い。笑
大丈夫。自分が心地いいと思うペースでね、進めばいいんだよね。
eyeco