こんにちは、ノート研究ライターeyecoです。
きょうは、日記のお話です。
私自身、3年前からのめり込んで書き始めた「3行日記+いいこと」ですが、これを始めた当初の目的は自分自身を見つめ直して足元を確認し、立て直していくための ”手段”としてでした。
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しかし、それ以前に、だいぶ身近で手書き活動を行っていた人物がいたんです。それは、わたしの父でした。
健康自慢でアクティブだった父は、50代のときに、突然倒れて救急搬送され、一夜にして状態が一変。一命はとりとめたものの、今後、一生投薬が欠かせない生活が始まり、相当なストレスを抱えていました。本当に、人が変わったような虚ろな目をして過ごす年月が続き、ハラハラしながらも、じっと見守っているうちに、少しずつ、ゆっくりとですが、気持ちが回復してきたようで、それにともなって、現状を少しずつ受け入れながら、いまは積極的にたのしみを見つけるまで元気になったようです。
だからこそ響いた、父の言葉。わたしが出口が見えないなかで、どうしたらいいかわからなかった、冷却期間のあの時期、長めに帰省したわたしをいつもとおなじように家に迎え入れてくれた父が帰るときに、放った一撃。
「楽しく生きろ。いつまでもぐだぐだつまらない時間を過ごすのは、もったいないぞ」
ささりました、グサリともう、号泣です。
普段は「関心ありません」というふうに飄々としている父ですが、ちゃんとわかっていたんだなと思った瞬間でした。
そんな父が、還暦前後あたりから始めた日記習慣。それは、物忘れにも関連して、なにを聞いても「なんだっけ?」というようになった様子に危機感を覚えたわたしが、知人の日記習慣を引き合いに出して話したことがきっかけではありましたが、父は、5年日記をもう8年以上も継続していると聞いて驚きました。
その、知人の日記週間とは、当時、齢90歳を超える方でしたが、頭がバッチリと冴え渡り、ハキハキと話す姿に感銘を受け、話を伺うと、幼い頃から毎日日記をつけているということでした。近年は、5年日記や10年日記などで短いながらも継続していると。さらに、珠算もたしなみ、計算力の衰えもなし。家計簿も毎日つけているとのことで、「書く」パワーを感じた次第です。
話を戻して、わたしの父。たしかに、ふとしたときに父に「あれはなんだっけ?」と聞くと、最近は、パッと答えが出るようになってきたなと思ったのですが、これはやはり、書くこと効果ではないかと思っています。「●●したの、いつだっけな?」と聞くと必ずサッと日記のページを手にして、「あれは確か、去年の5月頃じゃないか?」とページをめくり、答える。さらに、「ああ、そうか、あのとき食べたのはうどんじゃなくてソバだったか」と振り返りついでに記憶の上書きまで。頭がシャンとしてくることで、自信もついてきたのか、日記に書くためにあれこれ行動するようにもなってきました。
さらに、行動するようになると、外でいろんな刺激を浴びてくるのか「●●のあれを食べてみたい。買ってこよう」と億劫がっていた電車にすんなり乗り、「●●の季節だからちょっとサンポするか」と、頻繁に出歩くようになり、今では筋力キープのためにスクワットや踏み台昇降を日課にしているようです。1日3回、10分×3セット、やったらカレンダーにシールを貼っていくって、お父さん、それハビットトラッカーじゃないですか、しかもものすごい続いている。。。!!
そんなふうに、一歩も二歩も娘の前をいく父。九死一生を得てからもうすぐ15年。懸念された合併症もいまのところなく、不思議と年々、心身ともに若返りを見せていく父の背中を見ながら、感謝するとともに、わたしも頑張ろうと思うのであります。。。(ついこの間、自転車競争で完敗し、長年サボって遠ざかっていたプールの再開を手帳に誓いました。。。!!が、がんばろう。。。!!)
↓↓ EDiT よみものページにインタビューが掲載されました^^ ↓↓