わたしの執着
こんにちは、ノート研究ライターeyecoです。
今週は、連日「執着&手放し」について書き散らかしております。
↓↓ さあ、おさらいの時間です ↓↓
で、わたし自身を振り返ってみると、「絶対に手放したくない!」と思うものってすごく少ない。昔はもっとたくさんあったのかもしれないけれど、物質的なものはほとんどなくなっているんじゃないかなぁと思います。(ないと不便かな、と思うものはあったとしても。。。)
一方で、固執するものというか、絶対に手放したくない! と思っているものも確かにあるんですよね。それをちょっと掘っていってみると、スキルというものが大半でした。
例えば運転のスキル。
車を手放す、ということが未だにできないでいるのは、運転しなくなると運転できなくなっちゃうのがイヤだから。ただ、最近は、カーシェアとかも充実してきているので、車の手放しも時間の問題かなというふうに思っていますし、それこそ引越しのタイミングでパッと手放してしまうことになるかもしれない。車を買い換えるつもりは今のところないので、廃車になったら有無を言わさず終わりだし。
そう考えると、車自体への執着というより、運転スキルへの執着なのだな、と気づく。それは、まず、取得するまでに相当苦労しているからというのもあって。だから、「二度と教習所に通うのは勘弁!」という強い恐れが働くのです(笑)
運転だけではなくて、多分、わたし自身が恐れるのは、「できること」が「できなくなる」ということ。モノ忘れが、とか、体力落ちたな、とか、そういうことよりも、英語とか運転とか、努力してなんとかクリアしていったものが「できなくなる」というのがいやなんでしょうね。。。。そして、両方とも好きなことだから、尚更。
もともと、わたしは人よりも明らかに「できない」ことが多いことを物心ついた頃から痛感していたので、知らず知らずに、できないことは捨て置いて、「わたしでもできること」「わたしでも認められること」を探して、そこをとにかく伸ばしていこうという意識があったのかもしれません。
だから、みんなと同じようにやる、ことが苦手というか。人並みに、平均的に、という言葉に「わたしは平均的にできないことが多い」とひるんでしまう。子どもの頃ほど、「みんなと同じ」を気にするし、求められることが多かったからですが、だからこそ、早く大人になりたくて、「大人になったらもう好き勝手やれる!」と思ってました。
行き詰った状況でも、必ず突破口はある。
できなくても大丈夫、執着の根っこの部分がわかれば、打開策はあるし、ラクになる解決策もあるわけで。だから、一気に自分を、追い込みすぎない。でも、必ず打開したいから、時間をかけたり、やり方を変えたり、スイッチの切り替えを発動させながら、自分を、自分自身で、より良い方向へ導いていく。それが大事かなと思います。
なんか話がとっちらかってきちゃったので。。。。!!!
今日はこの辺で。
===EDiT 連載コラム 第3弾・更新されました!!===
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