激動サイクル振り返る
こんにちは、eyecoです。
自分史年表で振り返る10年
10年前のあの日から、今日までを思いながらノートを書いたきのう。ふと、今年の1月に、数秘術の課題で自分史年表を書き出すのがあったことを思い出して、合わせて眺めてみました。
数秘術だと「9年サイクル」で1ステージとなり、図らずもわたしは、2011年が「1(はじまり)」の年で2020年が「9(完結)」の年にあたるため、私自身の個人的な9年間を一言であらわすならば、と横にメモっていた自分自身の見解が、
「作ったものを広げながら壊した期、熟成しすぎて果実が落ち、そこからまた土に還して肥やそうとしている」
でした。後半、そうね、2017年が落ちた果実を拾えず涙に暮れて、途方に暮れて。。。。でしたから、われながら言い得て妙。
「変わった・変わらない」をノートに書き出す
数秘的なサイクルで私自身の10年(9年)を見直した後で、もっとシンプルに、あの日と今、を重ね合わせながら、自分なりの落としどころを見つけようと、ノートに書いたのは全く違うことでした。
●この10年で、変わったこと
●この10年で、変わっていないこと
わたしは、「変わっていないこと」の方が、なかなか出にくかった。
根本のところで「変わらないものなんかない」と思っているからなのかもしれないけど、それもまた一方的なものの見方だなと気づく。
例えば、変わっていないことに「元気で健康」をあげても、これを「変わった」という視点で見ると「歳をとった(つまり全く同じように”元気で健康”とは言えないのでは)」というふうになっちゃうし。捉え方の問題で、正誤はない。
ただ、一つだけ揺るぎなく「変わっていないこと」は、今、この瞬間も生きている、ということだ。10年前も、今も、変わらずに、呼吸ができ、生きている。
失ったものの大きさ、悲しみは計り知れないけれど。
不安はあれど、ちゃんと、しっかり、生きていくこと。変わらないことの有り難さにも目を向けながら、この先も、行き着くとこまで、ちゃんとね。
eyeco